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山田風太郎【やまだふうたろう】
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●生い立ち 山田風太郎(本名・誠也)は、大正11年に兵庫県養父市関宮で、父は医者、母は医者の娘という医学一家に生まれました。幼くして両親を亡くすという不幸に見舞われますが、自身も医者の道を目指し、東京医科専門学校(現・東京医科大学)に入学します。ところが、在学中の昭和22年、探偵小説雑誌「宝石」の第1回新人賞に応募した「達摩峠の事件」が入選を果たしたことがきっかけとなり、卒業後は作家の道を歩むこととなりました。 ちなみに、筆名の風太郎は、中学生時代に 3人の友人らと互いに呼び合うのに用いた雷/雨/霧/風というあだ名、そして受験雑誌への投稿時代にペンネームとして使用した「風」に由来します。 ●「忍法帖」シリーズで、一世を風靡 昭和25年に作家として執筆活動に専念した風太郎は、戦後の荒廃した世相を背景とした推理小説を中心に多数の作品を発表。その後、1959年に発表した『甲賀忍法帖』を皮切りに、安土桃山時代から江戸時代を舞台として忍者たちの死闘を描いた、いわゆる忍法帖シリーズで一世を風靡しました。また、1975年の『警視庁草紙』からは、明治時代を背景に実在の人物や歴史上の事件を扱った明治伝奇小説と呼ばれる作品を発表し、多くの読者を魅了し続けました。 また、山田文学を通底する原点ともいえる『戦中派不戦日記』は後代の作家たちにも大きな影響を与えています。平成15年4月には地元・養父市関宮に記念館が建設され、自筆原稿や創作ノート、愛用品などが展示されています。 |
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